豊かな時間

    今年もまた月下美人が開花しました。
    別々の鉢植えの株の花が同時に咲く不思議。
     
    1年を通じて、開花するのは夏の間だけ。その他の季節は両隣の家の中でそれぞれ保管されています。
    それでも こうして、まるで相談し合っていたかのように同じ日時に美しく実るのです。
     
    何も起きていないかのような、平穏で、安らかな時間を、今の社会はあたかも時間の無駄のように扱い排除しようとするけれど、実はそういう時間にこそ、目に見えない、心に映らないような大きな変化が起き、ものごとが熟成されていて、この世界はそれによって豊かになっているのだろうと、そんな話をしたのを思い出したり。
     
    ここのところ、なにやらずっとバタバタで忙しく、かと言って金銭的には豊かにならずむしろ逆で^^; でも、それはぼくだけに起きていることではなくて、今の世の中全体がそんな状態に陥っているのは知っていて、それはもう明らかに政治の腐敗に由来するのですが、今のところその流れは止められる気配がなく、新たな「市場」等と言って新技術がもてはやされたりもしているのも知っているけれど、「そもそも」を変えていかないと、そうした新技術も世界の土台が崩れていくのを手助けする役割を果たすだけのものになるのでしょう。
     

    月下美人にも、春に一斉に開花する桜にも、全ての生き物に必要な「豊穣をもたらす、何もないかのような、だけどほとんど全てがそこにあるようなそんな時間」を取り戻すのは容易なことではないでしょう。この日本列島に住む人々は、そういう感覚を他民族以上に繊細に持ち続けていたような気がするのですが。

    だからこそ、ぼくがその伝承のお手伝いをしている朝崎郁恵さんの唄もそうですが、古層の叡智としての、例えば芸能だとか、アートだとか、そういうものを通じて各々が未来図を描くことが、これから大切になるような、そんな気がします。

    なぜなら、古層の叡智であるそれらは、現代においては軽視され、無駄さとえ言われる、「あの時間」につながっているから。
    もちろん私達は、古層の精神だとか社会に、単に戻ることはできないし、そんな必用もないですが、ただ、今の世界の閉塞状況を打開していくための鍵がそこには眠っていると思うのです。