魂の記憶が開かれる時

    ここ1~2週間程の間にあった、朝崎郁恵師匠と東京ノーヴィ・レパートリーシアターの芸術監督レオニード・アニシモフさんと稲葉俊郎さんとの対談イベント、そしてその後の稲葉俊郎さんの個人講演でのお話を聴く中で、改めて自分が今、何故ここにこうしているのか、その原点を改めて思い返している。

    アニシモフさんは対談の中で、現代人が自らの記憶を失っているとおっしゃっていた。
    記憶と言っても、魂だとか遺伝子だとか、そういうレベルでの話だ。
    そして その記憶喪失が人間の健康にとってとても大きなリスク要因になっていると。
    それを解決するには、遺伝的、潜在意識的な記憶を取り戻していくことが必要だと主張されていた。

    稲葉俊郎さんは、医者としての立場から、芸術に触れる、表現する行為を通じて人が癒されていく、「健康」になっていくことに強く関心を持たれて、書籍や様々な講演でそのことを発信されていらっしゃる方だ。

    この二人は、全く違うジャンルの世界にいながら同じところを見つめている。そしてそのお二人が共に僕の師匠である朝崎郁恵さんの唄に大きな関心を寄せてくださっているというこの事実。そして なぜかここに来て、そういう方と師匠に接点ができたことに、何か大きな意味があるような気がする。

    考えてみれば、今ぼくがこうして朝崎郁恵師匠と出会い、その活動を手伝いながら唄や踊りのお稽古をしているのは、元を辿って行けば20代後半から30代前半にかけて、自分の心身が激しい不調に陥っていたことがきっかけだったのだ。
    なおかつ、サラリーマン生活をする中で、いつも居心地の悪い生きづらさも感じていた。

    それで、そういう状況を打破するために最初にしたのが、墨田区に移住し、そこでのまち作りに関ること。そのときは「ローカリゼーション」という言葉が一番重要だった。でもそこでの活動の中で、ローカルで起きている様々な問題が全世界共通なグローバルな事象であることに気付いて、だとしたら、もっと普遍的なことを息の長い取り組みとして始めたいと思うようになった。

    今の社会から色んな現代的な過剰な要素を剥いでいったときに最後に残る、ヒトがヒトらしく豊かで、幸せでいるために必要な要素は何か・・・
    衣食住はもちろん重要だけど、それ“だけ”では「ヒトらしい幸せ」は得られないだろう。
    それにプラスされる、最も人間らしい、一番豊かさとか幸福に直接結びつく要素は何なのか? それは、心と体が直接的に形を伴う表現となる、唄や踊りといった芸能なのではないかと、そこにたどり着いた。

    だからなのか、ぼくは芸能を自分でやっていたとしても、その動機は外に向けて聞かせたい、見せたいというよりも、自分の内面だとか、人々の心や体のあり様というようなところに重点があった。

    いかにして体が、心がその命を燃やし、謳歌し、癒し、幸福感につながっていくのか。
    「日本」だとか「アジア」さらには「人類」が、いかなるプロセスを経て今のような姿になってきたのか・・・つまり生命の根源はどこにあるのか・・・生命とは何か?
    そんな問いへの答えを探したかった。
    自らが唄ったり、踊ったりすることを通じてしか、その答えにたどり着くことはできないような気がしていたのだった。

    そんなときに朝崎郁恵さんの唄に出会った。これはもしかしたらとても深い深い、古い古い何かに触れている唄なんじゃないかと思い、そのお弟子さんがやっている奄美の八月踊りの「十五夜会」の門を叩いたのでした。

    さらに遡ると、ぼくが楽器(ギター)を始めたのは、人間関係で悩むことが多く、よくいじめられていた小学生~高校生の頃で、思い出してみると、そのときもぼくはギターの演奏を通じて自らを癒そうとしていたように思う。音楽がもたらしてくれるある種の現実離れした感覚は、当時、外部の世界との折り合いをつけるのが苦手だったぼくにとって、外で傷ついた自らを癒すためにはどうしても必用なものだったのではないか。無意識ではあったけれど、今はそんな風に思える。

    長くなったけど(これでもめちゃくちゃ端折っている)そんなことを思い出していた。
    何十年もの時を経て、今こうして師匠と、奄美の唄踊りを通じて、自分が今こうしているのは、ぼくにとっては自然で、必然的なことなんだなぁと。こうした多くのご縁を大切にしていきたいなと、改めて思う、そんな日々です。