自然をお手本にして踊る

    だいぶ日が経ってしまいましたが、「男性限定・観音舞の呼吸法シェアリング~猿田彦クラス」に参加しました。

    ※観音舞WEBサイト https://mainomichi.com/

    自分がやってる奄美の八月踊り(正確には奄美の加計呂麻島の花富集落出身の朝崎郁恵さんの八月踊り。集落によって唄も踊りも違うので。)と、観音舞に共通性があるのではないか、自分の体で体験して確認したいというそんな思いで参加してます。

    両者はパッと観ではもちろん全くと言っていいくらい違っています。
    八月踊りは大勢で輪になって踊り、にぎやかで、高揚感がありますが、観音舞は静かで、
    ゆったりとしていて、まるで瞑想のような優雅な踊りが多いです。

    そんな両者ですから、そのどこに共通性を見出そうとしているのか不思議に感じるのが普通の感覚だと思います。

    では、それは何故かと言いますと、直感的なものではありますが、一つには、踊りは、唄もですけど、本来は突き詰めていくと「自然な姿」になっていくと思っているからです。もちろん、ショーとしてやなんらかの形で、大衆に見せることを前提にした場合どうしてもそうでない、人為的だったり、自然に反する形も必要になるんですけど。ましてや、見せることしか考えていない、稼ぐことしか考えていない芸能になると、「もはや別物」になってしまうことも(多々)ありますけど。

    先日の会では、伝え手の 東泉沙也夏さんが「観音舞の一番のお手本といえば、それは、『自然』なんですけど…」と、会場の窓からの景色を観ながらおっしゃっていました。

    その視線の先の窓の外では、空に浮かぶ雲がゆっっっ くりと形を変え、木々の葉や枝がかすかに揺れていました。ビル等の人工物の中にありながら、そこには現代人の「時間」とは別次元の「自然」の営みが共存してありました。

    さらには目に見える存在以外にも、木々を揺らし雲を動かす風もあるし、私達の目にその陰影を投影してくれる光の存在もあるし、絶え間無く物質を引き付けている引力もある。普段私達がなかなか意識することができないものも含めた、「自然」と呼べるもの全てが舞のお手本であり、根本原理だということだと理解しました。

    ぼく自身は、これまでの様々な民俗舞踊のレッスンやWSでの経験を通じて、「体という自然」の声に忠実に踊ること、内側から湧き出る身体感覚を大切にすることを教わってきました。

    ですが、先ほどの東泉さんの言葉を聞いて、そうか内なる自然だけでなく外の自然に呼応する踊りもあるんだと思いました。もちろん 体という内なる自然の営みは、その外の自然に“常に”呼応していますが、その人の意識や魂がどういう視野であるか、どのくらい先に合焦しているかで、踊りや唄の在り方が変るのかなと思います。

    今回で二回目だった猿田彦クラスですが、千回に引き続き良い気づきをいただいたと感じています。また参加したいです。

    写真は帰りに寄った国立の「 Agréable musée アグレアブル・ミュゼ 」さんの庭の大島桜。