中世の民俗舞踊、祈り、そして今

    昨夜は民俗舞踊の会の忘年会でありました。今年最後ということで先生もいつにも増して話に力が入ってました。

    中でも繰り返し話していたのは「中世」について。
    中世という混乱期に生まれた芸能には祈りがあり、力がある。
    だから私(先生)は中世の芸能が好きなのだと。

    日本の「中世」。全然詳しくないのであまり深いことは書けないけれど、それまでの支配体制が腐敗し、新たな時代へと移行していくまでの長い混乱の時代ということか。
    武士が力をつけて戦乱に明け暮れていた。
    でも、その中で、今の「伝統文化」とも呼ばれている多くの優れた芸術/芸能が生まれていく。

    不安定で、いつも死が身近にあった時代だけど、先生いわく、その時代の芸能には力強い「祈り」を感じるのだという。
    死が身近だからこそ身近な人の無事を願い、そして様々な「再生」への願いがあった。
    そして「願い」の前に「祈り」があった。
    祈るために、人は踊り、唄ったのだと。
    強い祈りがあったからこそ、強い唄踊りが生まれたのだと。
    そして、その祈りの在り方というのは縄文の時代から連なっているものだと。

    唄や芸能について思うとき、観えぬ存在、観えぬ力についてを抜きにすることは難しい。
    でも、それについて言葉で語ったり近づこうとすることも難しい。
    いつもそれは言語化されることでその本質から遠ざかってしまう。消え去ってしまうから。
    だからこそ、ヒトは歌い踊るのだろう。

    今の世の中は、さながら中世の再現の様相を呈している。
    近代国家、資本主義の枠組みが音を立てて急速に腐敗し、混乱に陥っている。
    (情報技術の力で平静を一所懸命演出してはいるだろうけれど)
    流血の戦争も世界的には多くの場所でおきているけれど、なによりもメディアやITによる戦、そして経済の戦が蔓延し過ぎている。
    気候が不安定化し、人々の健康が大きく損なわれている。
    もちろん、中世とはまったく違う社会になっているのだから、これから起きることも予測はつかないけれど、
    ただ、普遍的な大きな流れとして、とりわけ、精神文化とそこから派生する芸能文化がかつての中世との相似形を成していくのは間違いないのだろうと思う。
    暗黒な時代ではあっても、人々はそれを跳ね除けながら、力強くあることができるのだとも思う。

    そんなことを確認できた会でありました。感謝。