9.11をこえて

    今年の9.11が過ぎた。

    あれからもう14年とは。
    いろんな意味であの事件は自分の考え方とか行動を変えたなぁと思う。
    多くの専門家も入って、あのジェット機突入の映像とニュースの不可解なところの検証がされているようで、少なくともあれがアルカイダによる自爆テロだと「単純に信じている」人というのは前よりは少なくなっているようだ。
    ぼく自身はテロ説も含めて全て、真実はまだ闇の中と考えている。
    その後のアフガン~イラク戦争はアメリカとそれに便乗した日本含めた各国の暴走だと確信してるけれど。

    考えさせられるのは・・・アメリカでは、多くの専門家等がある程度の証拠を集めて9.11が自作自演であるという仮説を立てて、それを一般市民に提示すると、多くの人がそれを確かめもしないで、否定するという話だ。
    理由は自作自演が仮に事実であったとしてもそれを心が受け入れることが出来ないというもの。
    それを認めてしまったら自分を支えることができなくなるという。
    人の心の弱さ、そして現実認識ってやつの脆さ、不確かさを思わずにいられない。
    アメリカという国に住んだことがないので実感はないけれどあれほどの大国を支えるためには、それに応じた強力なフィクションが必要なのだろう。「強くて平和な正義の国アメリカ」という物語が。

    これまでも何度か書いてて、あまり賛同は得られないかもしれないけれど、世界から争いや戦争が完全になくなることはない。
    もしなくなったかのように観えたら・・・それは完全に人々が目を奪われたときだ。
    争いのなくならない不完全さを受け入れた上で、不断の営みで暴力の最小化をし続けるのが、唯一の平和的な生き方だと思う。
    同じ様に 過度な便利さも・・・それは支配され拘束されていることの裏返しだ。
    ある程度の不便さを受け入れて、自然と共に在る技術をしつかり使いこなしていく。
    便利な技術にはそれぞれの性格に応じて常に自制ができる仕組を維持していく。
    それしか持続可能な生き方というのはないんじゃないだろか。

    9.11で亡くなられた方々、そしてその後の作られた戦争で亡くなったり、どん底に突き落とされている人々のことをおもい、祈り、歩んで行きたい。

    2015.9.12