ブロックチェーンと「忘れる」という行為

    先日のこと、急遽『 Art Hack Day 展覧会「Being There ー 現れる存在」展 』を観て来ました。

    当日教えてもらって急遽行ったのでちゃんとイベントの趣旨もわかってないけど、ざっくと書くと、「人工生命」を通奏コンセプトにして「Being There(現れる存在)」というテーマを設定。数回のワークショップを通じて作られた作品12点を展示。ということらしい。

    人工生命・・・人工知能やロボット開発なんかの分野は、僕個人はかなりの危機感と期待の両方を持って関心をよせています。

    今回の展示は短期間で作られた作品で、どの作品もわりと荒削りなのだけど、その分なんというか制作者のむき出しの意図のようなものが伝わってきて面白かったです。

    一番印象的だったのは「気配」の可視化のようなものを目指した作品が多かったこと。
    そんなところになんだかぼくはとっても「日本」を感じた。
    西洋文化圏の人達が同じテーマで作ったらどうなったかなぁと考えてみたり。

    ところで、今回の作品の中にブロックチェーンのデータを映像化したものがあった。
    トランザクションデータ(取引の記録)を、ある規則に従って幾何学模様をパーツにして描く二次元映像にするというもの。
    その作品の説明を聞いていて面白いなと思ったのは「それぞれのブロックの膨大な取引記録を全て図形化すると真っ白というか、画面が全て埋め尽くされてしまうので、一定以上古い記録は消しながら図形化している。」という内容の話だった。

    ヒトには「忘れる」能力というのがある。
    肥大化した脳は、日々忘れることによって新しい自我を形成し続けている。
    もし、今の脳のままで、忘れることができない人がいたなら、その人はあっという間に病んでしまうでしょう。
    そして「忘れる」ことと「睡眠」は分かち難く結びついている。
    だからこそヒトは何がなんでも眠らなくてはならない。

    この「忘れる」という行為は「消し去る」ことではないような気がする。
    寝ている間に観る夢は、理性が記録している情報が何らかのメソッドによって変換され、理性の制御の届かない深層意識だとか「魂」奥深くに保存し直されるとき、
    または、理性/表層意識が記録している情報を深層意識が参照するときやその逆のときに起きる「何か」が「イメージ」として認識されたものなのでは?

    「忘れる」というのは表層の理性が主に言葉として記憶していた情報が深層意識だとかもっと言ってしまえば、そこにつながる遺伝子だとか、集合無意識による記憶に変換されることなのではないかな?
    少なくともそこではデジタル的な「消去」のような現象は起きていないんじゃないかなと思う。

    でも、今のところAIにも、その他の情報技術にも、この「忘れる」ということができない。削除とか消去とか単に人目につかないように隠すことはできても。

    今回のこのブロックチェーンを使った作品が天井に映し出していた映像から受けた、美しいけれどもどこか単調で深みのないような印象は、何もしなければひたすら消去されずに積み重ねられ、塗りつぶされたような単調な映像になってしまうだろうものを、「一定以上古いものを“単に無視”する」という方法をとることによってなんとか陰影を刻むことができた作品だからだろう。つまり今の情報技術の限界を作者が(意図してかせずしてか)反映したのかな? なんてことを考えたりしました。

    それにしても、AIもいつかは“ヒトのように忘れる”ことができるようになったりするのかな?